

大阪弁護士会所属。京都市出身。
労働環境が激変する現代において、企業が直面する労務リスクは経営の根幹を揺るがしかねない重要課題です。私は、大学卒業後のIT企業勤務、経営コンサルタント、企業役員といった10数年のビジネス現場での経験を経て弁護士となりました。
法律はあくまで手段であり、目的は「企業の持続的な成長と安定」であるべきだと考えています。そのため、単に「法的に可能か不可能か」を答えるだけでなく、現場のオペレーションや事業への影響、経営者の想いを汲み取った上での「最適な次の一手」を提示することを最優先しています。
使用者側(企業側)の専門弁護士として、労働紛争の早期解決はもちろん、トラブルを未然に防ぐための強固な労務基盤の構築を支援いたします。経営者の皆様が事業に専念できるよう、法的側面から強力にサポートさせていただきます。
PROFILE:https://vs-group.jp/lawyer/profile/fukunishi/
書籍:「事業をやり直したい」と思ったときの会社のたたみ方
監修:プロが教える!失敗しない起業・会社設立のすべて
共著:民事信託 ――組成時の留意点と信託契約後の実務

この記事でわかること
近年は物価上昇や人材確保の観点から、企業の定期昇給やベースアップへの関心が高まっています。
両者は混同されやすい制度ですが、賃金制度上の意味や人件費への影響は大きく異なるため、違いを理解した上で実施しましょう。
一時的な賃上げとして実施したつもりでも、将来的な人件費負担増や従業員とのトラブルにつながるケースもあります。
自社の賃金制度や人事戦略と整合性の取れる制度を検討しましょう。
この記事では、ベースアップと定期昇給の違い、近年注目される背景、導入時のメリット・デメリット、ベースアップの設計方法について解説します。
目次
ベースアップと定期昇給は、いずれも「賃上げ」を実施する制度であるため、混同されやすい概念です。
しかし、実際には賃金制度上の位置づけや人件費への影響、企業側が負う法的リスクや経済的負担は大きく異なります。
従業員への賃上げを検討する際は、単に「給与を上げる」という視点ではなく、どの制度によって実施するかを整理する点が重要です。
また、ベースアップのことをベアと言われることもありますが、同じ意味です。
ここでは、ベースアップと定期昇給の概要と、両者の本質的な違いについて解説します。
ベースアップとは、従業員全体の基本給水準を一律に引き上げる取り組みをいいます。
個人単位の昇給ではなく、会社全体の賃金水準自体を見直す施策である点が特徴です。
たとえば「賃金表の各等級を一律5,000円引き上げる」といった改定が典型例です。
ベースアップは、企業業績や物価上昇、人材確保の必要性等を背景として実施されます。
毎年4月の新年度に向けて2~3月頃に行われる「春闘」では、労働組合と企業との間における主要な争点のひとつとなります。
春闘における大手企業の回答結果は、業界や経済市場の相場傾向を形成する重要な要素となっています。
定期昇給とは、毎年一定の時期に、定期的に賃金を上昇させる制度です。
賃金表に基づき個人ごとに等級等が上がるしくみで、勤続年数や年齢、評価、役割等が判断基準となります。
定期昇給は法律上の義務ではなく、会社が任意で設計・運用する制度です。
そのため、昇給時期や昇給回数、評価方法等は、就業規則や賃金規程によって自由に設計できます。
自動的に毎年昇給するしくみとするか否かも自由です。
規則の内容によっては、会社の業績や人事評価等に応じて昇給を見送る運用が可能なケースもあります。
ベースアップと定期昇給の本質的な違いは、ベースアップが「賃金表の書き換え」であるのに対し、定期昇給は「賃金表に沿った個人のスライド」である点です。
定期昇給は個人単位の昇給ですが、ベースアップは従業員全体に一斉に影響します。
基本給だけでなく、残業代や休日手当などの割増賃金単価も連動して全社的に上昇するためです。
結果として、想定以上に人件費総額が増加するケースも少なくありません。
一時的な業績改善のみを根拠に導入すると、後に固定費負担が経営を圧迫する可能性があります。
さらに、ベースアップによって引き上げた賃金水準を後から引き下げる行為は「労働条件の不利益変更」に該当するため、容易には行えません。
変更を行う場合は、原則従業員の個別同意が必要です。
就業規則の改定による変更であっても、変更の合理性が厳しく判断されます。
導入前には、割増賃金や社会保険料への影響も含め、中長期的な人件費シミュレーションを行った上で、慎重に制度設計を進めましょう。
近年は、定期昇給やベースアップに関する議論が活発化しています。
厚生労働省の「賃金引上げ等の実態に関する調査[注1]」によれば、2025年度中にベースアップを行った、または行う予定と回答した企業は57.8%でした。
また、2023年は一般職49.5%・管理職43.4%、2024年は一般職52.1%・管理職47.0%に対してベースアップを行った、または行う予定と回答されました。
これらの結果から、ベースアップを実施する企業は年々増加傾向にある事実がわかります。
背景には、物価上昇だけではなく、深刻な人手不足や採用競争の激化があります。
賃上げを単なる待遇改善ではなく、人材確保や定着を目的とした人事戦略として検討している点がポイントです。
ここでは、定期昇給やベースアップが近年注目されている背景について、さらに詳しく解説します。
近年賃上げが注目される主な要因は、深刻な人手不足と物価上昇の問題です。
特に、物価が上昇しているにも関わらず賃金が据え置かれると、実質賃金とともに従業員の生活水準も低下します。
その結果、より条件の良い企業へ転職する動きが強まるため、賃上げを実施しない企業では人材流出リスクが高まります。
企業の賃上げは、既存従業員の定着率を維持するための「防衛線」です。
一方で、賃上げは人材流出を防ぐという守りの側面だけにとどまりません。
他社に劣らない賃金水準の提示は、優秀な人材を確保するための積極的な施策とも言えます。
また、従業員の実質賃金を維持し、生活負担を支える姿勢を示して、従業員に対するエンゲージメントとする企業も増えています。
近年は「賃上げ実施の有無」よりも「どの水準と方法で実施するか」を中心とし、人事戦略のひとつとして検討されている点が特徴です。
ベースアップは、従業員の待遇改善や人材確保につながるプラスの施策として注目されています。
特に近年は、物価上昇や人手不足の影響を背景として、多くの企業が賃上げ対応を迫られていると言えるでしょう。
一方で、ベースアップは単なる一時的な支出ではなく、将来的な人件費や賃金制度全体へ継続的に影響する制度変更です。
導入時には、採用力向上等のメリット面だけでなく、長期的な人件費負担や制度運用上のリスクも踏まえた検討が重要です。
ここでは、ベースアップのメリットとデメリットについて解説します。
ベースアップは、求人市場において強い訴求力を持ちます。
特に人手不足が深刻な業界では、基本給の高さが応募数や採用競争力に直結するケースも少なくありません。
基本給水準を引き上げるベースアップは、求人票上でもわかりやすいアピール材料となります。
また、既存従業員に対しても、会社が物価上昇や生活負担を考慮している姿勢を示す効果があります。
日々の努力や生活を支える姿勢が明確になれば、モチベーション向上や離職防止につながる可能性があります。
単発の手当支給よりも「将来に渡って待遇が改善された」というメッセージ性を持ちやすい点も特徴です。
結果的に、従業員の離職防止やエンゲージメント向上にもつながります。
ベースアップは、基本給を引き上げる施策です。
そのため、月の給与だけでなく、賞与の算定基礎や退職金、残業代等の割増賃金にも影響が及びます。
特に固定残業制や基本給連動型の退職金制度を採用している場合、人件費総額が想定以上に増加するケースがあるでしょう。
一時的な支出ではなく、全社的かつ長期的な固定費増として考える視点が重要です。
一時的な業績改善のみを根拠として導入すると、後に固定費負担が経営を圧迫する可能性があります。
前述したように、一度引き上げた基本給を後から減額する場合「労働条件の不利益変更」の問題が生じるため、注意が必要です。
業績が悪化しても、会社側の一方的な判断での引き下げは認められにくく、相当の合理性と適正な手続きを踏むことが必須となります。
導入時は現在の利益状況だけではなく、中長期的な資金計画や将来的な人件費推移も踏まえた制度設計を十分に検討しましょう。

ベースアップは、一度導入すると、将来的な人件費や賃金制度全体へ継続的な影響が及びます。
そのため、給与の引き上げだけではなく、その後の運用や固定費への影響も含めて、慎重に制度設計を行う必要があります。
設計を進める際の一般的な手続きは、次のとおりです。
ここでは、それぞれのステップについて詳しく解説します。
ベースアップを検討する際は、まず自社の給与水準や制度上の課題を客観的に整理しましょう。
業界水準との比較は、人材確保や採用競争力の観点からも重要なポイントです。
一方で、自社の人件費率や利益率、採用状況、離職率等も含めて継続的に実行可能な水準かを詳細に分析しなければなりません。
一時的な業績改善のみでは、将来的に継続して増加する固定費負担をカバーできない可能性があります。
また、ベースアップを実施する目的を明確にする点も重要です。
目的が曖昧なまま導入を進めると、賃上げの効果検証が十分には行えず、制度だけが固定費として残る恐れがあります。
ベースアップを実施する目的の代表例は、次のとおりです。
会社の経営戦略や人事戦略と連動させながら、必要な賃上げ水準を検討する視点が重要です。
ベースアップの方法は、大きく「定額方式」と「定率方式」に分かれます。
【定額方式】
例:賃金テーブルを一律5,000円引き上げる
【定率方式】
例:賃金テーブルを一律3%増額する
どちらを採用するかによって、人件費への影響や従業員間の公平感は大きく変わります。
たとえば、定率方式は、基本給の高い管理職の増額幅が大きくなる点が特徴です。
定額方式は、若手社員や一般社員の賃金底上げ効果を出しやすくなります。
なお、ベースアップではなく、一時的な対応として「調整手当」を支給する方法もあります。
ベースアップと比較すると支給額や時期の調整がしやすいため、人件費負担を抑えながら待遇改善を行いたい場合に検討される方法です。
しかし、継続的な支給によって既得権化する可能性があり、廃止や減額には不利益変更の問題が生じます。
さらに、手当としての支給は、従業員側に「一時的措置」という印象を与えやすく、賃上げ効果が弱まる可能性もあります。
調整手当の活用は、制度趣旨や将来的な運用も踏まえて慎重に検討しましょう。
ベースアップの方式を決定した後は、基本給だけではなく、他の賃金や手当への影響も含めて年間コストを試算する必要があります。
チェックが求められる具体例は、次のとおりです。
なお、賃上げ実施に対して雇用保険制度の助成金や税制優遇制度等が検討できるケースもあるため、併せて確認しましょう。
ベースアップを実施する場合は、就業規則や賃金規程、賃金テーブル等の関連規程へ内容を反映させる必要があります。
就業規則を変更する際は、労働者代表への意見聴取や内容の周知を行わなければなりません。
また、常時使用労働者が10人以上の事業場の場合、労基署への届出が必要です[注2]。
ベースアップは従業員にとっての不利益変更ではないため、比較的理解の得られやすい変更です。
説明会や文書配布等を通じて、十分に周知しましょう。
「なぜ賃上げを行うのか」を説明できる状態を整備すれば、制度への納得感が高まり、ベースアップの効果をより高められます。
[注2]労働基準法/e-Gov
労働基準法第89条
賃上げは従業員への還元であると同時に、会社の財務体質を変える重大な法的決定です。
賃金制度や就業規則との整合性だけではなく、将来的な人件費負担まで含めて慎重に検討しなければなりません。
一度実施すると後戻りの難しい決断だからこそ、実施検討の早い段階での専門家への相談が重要です。
賃上げを検討の企業様は、VSG弁護士法人のリーガルチェックを受けて、持続可能な賃金体系の設計と適正な就業規則改定を行ってください。